アンギュの日記

女性と暮らす女性の話

阿佐ヶ谷姉妹ならぬ阿佐ヶ谷兄弟

f:id:angyu:20211201065132p:plain

阿佐ヶ谷姉妹の男版があったらこんな感じだろうか・・・。

アンギュ:「お腹がすいた。パスタとか焼きそばとか食べたい」
シャンシャン:「だったら、塩辛焼きそば食べる?まさにパスタのような焼きそばのような感じでしょ」

ということで、近所のライフにイカの塩辛と焼きそばを買いに行くことに。

塩辛焼きそばというのは、以前高円寺の居酒屋で食べた逸品。
イカの塩辛と焼きそばを生クリームとお醤油少々で炒めて、小ネギをパラパラっと散らした、お酒にめちゃくちゃ合う一品だ。
いろいろ試した結果、塩辛はライフに置いてある「社長の塩辛」一択。臭みなくまろやかな仕上がりになる。

ライフに着くと「9時半より開店」の看板が。
いつもサミットで買い物をするので、ライフが9時半からだとは知らなかった。開店より少し早く着いてしまった。
お店の前で開店を待っていたら、おじさんAがそしらぬ顔で店内に入って行ってしまった。それを見つけた店員さん

店員:「お客さん!開店までお待ちください」
おじさんA:「もう準備万端じゃないか。少しくらい早く入ったって問題ないだろう!」
店員:「困ります」

おじさんはお店の外に追い出されて、仕方なく店の外に陳列している野菜を眺めている。それを見ていたもう一人のおじさんが、

「そうだよな、早めに入っても問題ないよな」
そう言って、お店の中に入ってしまった。

店員:「お客さん、外でお待ちください」
おじさんB:「ケチケチ言うなよ。少しくらい客を早く入れても困らないんだろう?」
店員:「そういうことではなく、他のお客様同様、外でお待ちください」
おじさんB:「嫌だよ」

本当に聞き分けのないおじさんたち。昔、オバタリアンという言葉があったが、令和の今はオジタリアンが優勢か。

おじさんBは外に出されて、おじさんAと「少しくらい早く店に入っても誰もこまらないじゃないか」「そうだよなぁ!」と結託していた。

ほんの数分が待てないんだなぁ、困ったおじさんたちだ。が、見ようによってはネタになる。阿佐ヶ谷姉妹ならぬ阿佐ヶ谷兄弟を結成したら面白いんじゃないかと想像したら、思わず吹き出してしまった。

家に帰ってシャンシャンにおじさんAとBの話をしたら、

シャンシャン:「そういうおっさんは前頭葉が退化しているのよ。半分、呆けているようなもの。困ったもんだね」

と、容赦なかった(笑)

禅とマインドフルネスの違い。「一所懸命」が幸せへの近道。

f:id:angyu:20211201113912p:plain

掃除と禅とマインドフルネスの関係

わたしはあんまり片付けが得意ではない。
「片付けしようと思うけどあんまり捗らないんだよねー」と言ったら、シャンシャンから、図書館で借りてきた「1日10分 禅で心を軽くする」という本を渡された。ふむ。


そこには、
「掃除とは部屋が汚れているから行うのではなく、心を磨くために行うもの。無心になって部屋を清める作業に取り組むと、心の曇りも取り除かれるという、坐禅と同様の効果があるのです。美しく整った空間に住む人は、雑念にとらわれにくくなります。逆に不用品があふれていれば、気が休まらずストレスがたまります。家は住む人の心の状態を映す、鏡なのです」
と書かれていた。

読んで頭に浮かんだのは、
「ところで、禅と、いま流行りのマインドフルネスとどう違うんだろう?」
ということ。

ググると、松山大耕さんの、「マインドフルネスと禅、その決定的な違いは何か? 同じ瞑想に見えても全然別物」という記事があった。
その内容を要約すると、マインドフルネスは、集中力を高めたり、幸福感を得たりすることを目的としている。一方、禅は、釈迦と同じように苦行を積むこと自体が目的。
禅は、釈迦の悟りは何だったのかという、超越したところに意識を向け、悟りを得たら、その経験を世のために使っていく。禅の修行はその手段に過ぎない。ということだそうだ。

わたしの解釈としては、禅は「一所懸命」に近いと感じた。
たとえば、絵を描いているときは雑念が一切なくなり、無心になれる。結果として、心が満たされる。でもそれは、集中力を高めたいから描いているわけでもなければ、幸せになりたいから描いているわけではない。ただ、描きたいから描く。その結果何があるかなんて気にしない。

ただただ、目の前のことに集中する。それは座禅と同じ効果があり、幸せへの近道となるのだな。

そんなことを考えていたら、とっぷり夜がふけ、片付けし損ねてしまった(笑)

犬人間だった過去〜男か女か?いつから女性が好きか?〜

これを考え出すときりがない。
一番古い記憶は、母のことが大好きということ。人は皆マザコンだというけど、わたしもそうだった。

母は創作意欲がとても高く、「1日ひとつ創作する」といって、よくお洋服を作ってくれた。わたしはスカートが好きではなかったので、半ズボンをリクエストした。今でこそ感性が育ってフリルの良さがわかるけど、ヒラヒラしたガーリーなお洋服が大嫌いだった。ただ、過去の写真を見るとワンピースがよく似合ってる。そりゃあ女の子だもんね。

色や色の組み合わせとしては、赤とか黒とか、きっぱりとした色が好きで、パステルカラーは好きではなかった。性格も白黒ハッキリしていた。(これも今ではそんなことは無い)

自身の姿を描くときは、たいてい顔が犬で体が人間。もしくは、男の子を描いていた。今思うと、自分のことを男か犬だと思っていたのかな?

f:id:angyu:20211125210020p:plain

子供の頃、自分のことを人間以外だと思っていた方はいらっしゃいませんか?

 

初見では必ず男の子と間違われていたのだけど、それが嫌で泣いていた。かといって、女の子っぽいものやことには全く興味が無かった。

自分が人なのか犬なのか、男なのか女なのか、そういう定義はなくて、またそういう観念も育っていなくて、ただ自分のことを、「こういう生き物」と捉えている、そんな感じだったのだと思う。

阿佐ヶ谷姉妹(続き)

阿佐ヶ谷姉妹Youtubeをいろいろ見ていたら、ねるとん告白タイムやってた(笑)
高校生の頃めちゃくちゃ流行った。つくづく世代が同じでツボ。

f:id:angyu:20211124202531p:plain

ねるとん紅鯨団、オープニングのイラストが雰囲気こんな感じなんだけど、実物とだいぶ違うわ(笑)すみません。


ねるとんのオープニング曲が鉄腕ミラクルベイビーズ TALK SHOWで、すごくいい曲。それを生き生きと(笑)歌っている江里子さんを見ていたら、当時の記憶がいろいろ甦ってきた。懐かしすぎる。ゲラゲラ笑いつつ、

アンギュ :「ねるとん紅鯨団って知ってる?」
シャンシャン:「知らない」

とんねるずのタカさんが大好きなシャンシャンだけど、世代的にねるとんは知らないらしい。

江里子さんの歌声を聴いてから、是非オリジナルも聴いて欲しい。バブルだけど、歌詞に時代を感じるけど、ぜんぜん古くないから(^^)

 

youtu.be

youtu.be

阿佐ヶ谷姉妹にはまっている。

ドラマ「阿佐ヶ谷姉妹のののほんふたり暮らし」すごく面白い。すっかりはまっている。シャンシャンがAmazonのアンリミテッドで読めるというので早速ダウンロードしたけど、もったいなくて少しずつ読んでる。

f:id:angyu:20211123221803p:plain

どうしても描きたくなって阿佐ヶ谷姉妹さんを描いてみました。

クラスメートにいそうな二人。想像しながら描いてみたら、お姉さんのほうが少し木村多江さんに似た?ということは、木村多江さんがめちゃくちゃ渡辺江里子さんに似せて演じているということなのね。実際そっくりで驚く。役者さんってすごいなー。

この二人の関係、江里子さんが、ちょっとダメな感じの木村美穂さんを慈しむ感じが、友人ではなく恋人?を通り越して、まるで夫婦のよう。

アンギュ:「この二人、つきあってるのかな?」
シャンシャン:「んなわけないじゃん」
アンギュ:「でもこれって友情というか、愛でしょ」
シャンシャン:「そうねー」

我が家では、「なんで江里子さんは美穂さんを好きなのかなー」って、二人ともどちらかといえば江里子さん派。(ちなみに二人とも木村多江さんも好き)
けれどもきっと、江里子さん一人では性格が良すぎというか、正統派というか真面目になりすぎるのかも。ちょっと変人ぽくて、自分に正直な美穂さんという存在によって、引き出されるものがあるんだろうな。

いずれにせよ最高の組み合わせだね。阿佐ヶ谷姉妹大好き。
愛のある生活、最高。

 

 

こんな夢の叶い方。柴犬のおとうふさんが娘

わたしはアンギュ。パートナーはシャンシャン。女二人暮らし。子供はシャンシャンの連れ子で柴犬のおとうふさん。

f:id:angyu:20211123165116p:plain

左からアンギュ、おとうふ、シャンシャン(イラストはあくまでイメージ)

わたしは子供の頃から犬が大好き。寝る前は、たいてい名犬ラッシーと遊んだり、一緒に買い物に行ったり、ふわふわの背中に乗っていることなどを夢想したものだ。学校の行き帰りも頭の中は犬のことばかり。絵を描くのが好きだったのだけど、顔が犬で体が人間の犬人間をよく描いていた。当時は、ムツゴロウさんのところに本気で弟子入りしたいと考えていた。(犬はもちろんだけど動物全般が好きだった)。そんなわけで、読んで楽しい本といえば「シートン動物記」。「ジャングルブック」にも憧れていた。
ところが親が「動物は絶対ダメ」というので、犬を飼うのは泣く泣く諦めたのだった。

 

子供の頃は犬を飼いたかったけど、大人になり実家を出たらまったくそんなこと考えないようになった。なんせ仕事で帰宅が毎日遅い。とてもじゃないけど動物は飼えない。飼ったらかわいそうな思いをさせてしまう。すっかり犬のことなんて忘れていた。

 

シャンシャンがうちに来ることになって、シャンシャンにとって「自分の命より大切」な柴犬のおとうふさんとも暮らすことになり、心の奥底に蓋をしていた夢がひょっこり叶うことになった。
おそらく、シャンシャンとつきあわなければ、一生、犬を飼うことは無かったと思う。

一方、シャンシャンにしてみれば、わたしに「おとうふさんを拒絶されたらどうしよう」と怯えていたらしい。わたしが思いのほか喜んだので、安心したと話していた。

わたしにとって、シャンシャンとつきあうことになったことは神様からのプレゼントだった。そして、おとうふさんが自分の子供になったことも、神様からのプレゼントだった。

幼い頃に強く強く願っていた夢は、神様が覚えていてくれて、適切なタイミングを見計らって、こうやって突然、プレゼントしてくれることがある。

神様ありがとう。

もうすぐシャンシャンの誕生日

わたしはAngyu。女性と暮らしている。

シャンシャンは、わたしのパートナー。なんでシャンシャンかといえば、一時期体重が増えていた頃に、友人から似ているということで「シャンシャン」と呼ばれていたから。今は見る影もなくスリムになったので、シャンシャンと呼ばれるのは不本意かもしれないが、ここではシャンシャンと呼ぶことにする。

 

f:id:angyu:20211123160736j:plain

パートナーのシャンシャン。少し前までパンダのシャンシャンに似ていた。



昨年はコロナで落ち着かず、シャンシャンの誕生日をお祝いしてあげていなかった。申し訳ない。だから、今年はちゃんとお祝いをしようと思う。

ダイエット中にシャンシャンが言っていたことを思い出した。
「あたしがスリムになったら、素敵なバーに連れて行ってよ。きれいな女性を連れていったら、少しは鼻が高いでしょ」

その時は、「本当に痩せる気があるのかな、シャンシャン・・・」という程度に思っていた。それが今や見事に痩せてすっかり綺麗な女性になっている。部屋に別人がいるみたいで落ち着かないくらいだ。

「バーかぁ。どこがいいかな」
色々考えて、ホテルのバーを思いついた。雰囲気が落ち着いていて、隣のシートともソーシャルディスタンス。その上、夜景が見えて、美味しい食事とお酒を楽しめたら最高。というわけで、早速予約した。

ホテルのレストランを予約したことをサプライズにするか、先に話すか少し悩んだけど、痩せてもなおダイエット継続中のシャンシャンをレストランに連れていって、「食事はいらない」なんてことになる可能性もなきにしもあらずなので、先に話すことにした。

「誕生日はホテルのレストランを予約したよ。素敵なバーに行きたがってたでしょ」
そう話したら、意外な反応だった。

 

「ふーん。別に行きたく無い」

 

・・・全く喜ばなかった(涙)
コロナを気にしているのだろうか?ダイエット中に食事をとるのがNGなのだろうか・・・。
「ホテルだから、居酒屋と違ってザワザワしていないよ。ちゃんとソーシャルディスタンスだし」
「あぁ、そうなのかもね」

 

*****

 

以降、誕生日の話はしていない。もし「やっぱり行きたく無い」と言われても、その時はその時。仕方ないかなーくらいに考えていた。

今日、シャンシャンが言った。
「今ね、すごく楽しみにしていることがあるの」
「何?」
「誕生日にバーに行くこと。それを目標に生きてる」

 

最高に嬉しかった。